EXHIBITION

  • 大槻香奈 個展「空の殻」(からのから)

    2015. 8. 05 Wed. - 2015. 8. 25 Tue.

    この度、DMOARTSでは大槻香奈個展「空の殻」を開催いたします。
    大槻香奈は京都を拠点に、全国各地で展覧会を開催する美術作家。
    一貫して「蛹」をテーマに制作を続け、代表的シリーズである少女のポートレート像、抽象的な美術表現、イラストレーションなど、表現の幅を広げて精力的に活動してきました。
    DMOARTSでの個展は3年連続、3度目となります。
    本展では、原画作品約50点の展示に加え、高画質美術印刷であるジークレープリントで制作したMy First Artの新作、ポストカードセットをはじめとしたグッズなどを展示・販売いたします。
    
    2007年より作家としての活動を続け、今年で8年目になる。
    私の作品は全て「蛹(さなぎ)」という概念で説明する事が出来、制作において最も重要なテーマとしてある。
    蝶の蛹を、「幼虫の死」と「成虫の生」とが同居しているものだと考えてみる。
    幼虫は蛹室の中で身をドロドロに溶かすので、どこから幼虫の死がはじまって、どの段階から成虫(新たな生)として捉えられるものなのか、外側から観察してみても分かる事ではない。
    生と死が捉えどころの無いものとしてありながらも、ひとつの生命体としてただそこに「存在」している…、
    そう考えると現代を生きる人達の多くはとても「蛹的」な気がするのだ。
    蛹というテーマが作品に色濃く出て来たのは震災以降だった。
    震災後、日本が生まれ変わる希望のイメージとして、蛹のモチーフを作品に意識的に取り込んだ。
    私たちはいま蛹の時代を生きていて、
    いずれ蝶になるための準備期間なのだと…。
    しかしいま、私が日本で感じている漠然とした空虚さは、例えるなら空っぽの蛹の中にいるような感覚なのだ。
    希望の象徴だと思っていた蛹の中身が空っぽだった事に、なんとなく気付いてしまったのである。
    震災から4年経ってみえてきたのは、日本はきっと確固たる「アイデンティティ」(蛹の中身)を、戦後ずっと探し求めているという事だった。
    それは蛹に例えられる「思春期の少女」の姿にもよく似ている。
    私自身も少女時代を過去に過ごしたが、空虚さの中で必死にもがいて生きている感覚は、現代の日本に生きる感覚と近いように感じられた。
    現代日本は蛹的であり、また少女的なのだ。
    あらゆる可能性を秘めていると信じたいが、まだ何者でもない存在。
    しかし、この空っぽの蛹(日本)の中でも、私たちは確かに存在している。
    この空虚さは誰のせいでもなく、私たちそれぞれひとりの人間は、常にこの世界で「どう生きるか」を問われ、答え続けていかなければならない。
    それが生の実感なのだ。
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    私にとって、この蛹の殻の中で作品をつくるという事は、現代や私たちの姿を映す「鏡」をつくるような感覚なのだ。
    どこかで現代の日本の姿を捉えていること。
    そこに確固たる何かを見つけて貰えたのなら、作者として幸いである。
    それはきっと、いずれ蝶になりうる蛹の中身となるかもしれない。
    
    大槻香奈
    
    大槻香奈 KanaOhtsuki プロフィール
    1984年生まれ、京都在住の美術作家。
    少女モチーフを通して、主にアクリル画で現代を表現している。
    2007年より活動をスタート。
    国内外問わず様々な展覧会に参加し、国内では年に約一度個展を行っている。
    またイラストレーターとしても活躍の場を広げ、2014年には「ILLUSTRATION 2014」にも掲載されている。